精神疾患DBSにおけるマルチターゲット戦略:作用機序、臨床応用、今後の展望
精神疾患DBSにおけるマルチターゲット戦略:作用機序、臨床応用、今後の展望
精神疾患に対する脳深部刺激療法(DBS)は、特に難治性の症例に対して有効な選択肢となりつつあります。多くの研究が単一の脳ターゲット(例:難治性うつ病に対する腹側被蓋野/内側前脳束、難治性強迫性障害に対する腹側内包前野/線条体腹側)に焦点を当ててきましたが、複雑な精神疾患の病態には、複数の神経回路の異常が関与していると考えられています。この認識に基づき、近年、複数の脳ターゲットへの同時あるいは逐次的な刺激を行う「マルチターゲット戦略」に関する研究や臨床応用が探索的に進められています。
本記事では、精神疾患DBSにおけるマルチターゲット戦略の背景、想定される作用機序、これまでの臨床応用の試み、および今後の展望について、最新の研究動向を踏まえながら解説いたします。
マルチターゲット戦略の背景と想定される作用機序
従来の精神疾患DBSは、特定の症状や機能障害に深く関連すると考えられる単一のターゲットを選択し、その部位またはその周囲の神経活動を調節することを目指してきました。しかし、多くの精神疾患は単一の脳部位の機能障害だけでなく、広範な脳ネットワークの異常な活動パターンによって維持されていることが、機能的脳画像研究や電気生理学的研究から示唆されています。
マルチターゲット戦略は、このネットワークレベルでの病態理解に基づいています。すなわち、異なるターゲットを同時に、あるいは特定の時間差を持って刺激することにより、単一ターゲットへの刺激では十分に修復できない複数の異常な神経回路や、互いに影響し合う複数の脳領域の機能不全に包括的に介入することを目指します。
想定される作用機序としては、以下の点が挙げられます。
- 複数の異常ネットワークへの同時介入: 例えば、情動制御に関わる回路と認知機能に関わる回路の双方に異常がある場合、それぞれの回路に関連するターゲットを同時に刺激することで、より広範な病態へのアプローチが可能になる可能性があります。
- ネットワーク内の異なるノードの協調的調節: 脳ネットワーク内の重要なハブとなる複数の領域を同時に刺激することで、ネットワーク全体の活動パターンをより効果的に正常化させることが期待されます。
- 症状の多様性への対応: 精神疾患では、抑うつ、不安、強迫、認知機能障害など、多様な症状が複合的に出現します。それぞれの症状に比較的特異的なターゲットが存在する場合、複数のターゲットへの刺激がより包括的な症状緩和につながる可能性があります。
基礎研究レベルでは、動物モデルを用いた研究において、複数のターゲットへの刺激が単一ターゲット刺激よりも行動学的・電気生理学的な効果が高いことを示す報告も散見されます。しかし、ヒトにおける詳細な作用機序の解明には、より精緻な脳活動モニタリング技術や計算論的神経科学的アプローチが必要となります。
臨床応用におけるこれまでの試み
精神疾患DBSにおけるマルチターゲット戦略は、主に難治性の強迫性障害(OCD)やうつ病などの症例において、探索的な臨床応用が進められています。
例えば、OCDにおいては、長年腹側内包前野(VC/ALIC)や線条体腹側(VS)が主要なターゲットとされてきましたが、これらのターゲットへの刺激で十分な効果が得られない症例に対して、内側眼窩前頭皮質(mOFC)や視床下核(STN)など、OCDに関連する他の脳領域への刺激が検討されることがあります。さらに、VCとmOFCのように、異なるターゲットに対して同時に電極を植込み、刺激を行う試みも一部の施設で行われています。これらの症例報告や小規模な研究からは、一部の難治例において単一ターゲット刺激では得られなかった効果が認められたという肯定的な結果も報告されています。
難治性うつ病においては、腹側被蓋野(VTA)/内側前脳束(MFB)や前帯状皮質下部(SCC)などがターゲットとされてきましたが、これらのターゲットと併せて、認知機能や実行機能に関わる前頭葉ネットワークへの介入を目指し、例えば背側前頭前野(DLPFC)への刺激を組み合わせる可能性なども議論されています。
ただし、これらの臨床応用はまだ限られた症例数に基づくものが多く、無作為化比較試験のような高レベルのエビデンスは現時点では不足しています。マルチターゲット戦略の有効性や安全性、最適なターゲットの組み合わせや刺激パラメータ、患者選択基準については、さらなる大規模な臨床研究が必要です。
技術的課題と倫理的考察
マルチターゲット戦略を臨床応用する上では、いくつかの技術的課題が存在します。複数の脳領域に電極を植込むことは、単一ターゲットの場合と比較して手術の侵襲性が増し、合併症のリスクが高まる可能性があります。また、複数の電極からの刺激パラメータ(電圧、パルス幅、周波数、コンタクト選択など)を最適化することは、単一ターゲットの場合よりも格段に複雑になります。患者の状態に合わせて複数の刺激設定を調整する必要があり、高度な技術と経験が求められます。
倫理的な側面では、より侵襲的な治療であること、また複数の脳領域への介入が予期せぬ精神的変化や副作用(例:人格変化、認知機能障害)を引き起こすリスクを慎重に評価し、患者およびその家族への十分な情報提供とインフォームドコンセントが不可欠です。
今後の展望
精神疾患DBSにおけるマルチターゲット戦略は、難治性症例に対する新たな治療可能性を秘めていますが、その発展には今後の研究が不可欠です。
- メカニズムのさらなる解明: マルチターゲット刺激が脳ネットワークに与える影響について、電気生理学的記録や脳画像研究、計算論的モデルを用いた詳細な検討が必要です。これにより、最適なターゲットの組み合わせや刺激パターンを理論的に設計することが可能になるでしょう。
- 患者選択基準の確立: どのような臨床的特徴を持つ症例がマルチターゲット戦略の候補となるのかを明確にするための研究が必要です。単一ターゲット刺激で効果不十分であった症例の中でも、特定の病態マーカーを持つ症例がマルチターゲットの恩恵を受けやすい可能性があります。
- 技術の進化: 将来的には、より低侵襲な電極植込み技術や、複数の電極からの刺激を効率的に管理・最適化するためのソフトウェアやデバイスの進化が期待されます。また、脳活動をリアルタイムでモニタリングし、それに応じて複数のターゲットへの刺激を調整する適応的DBS(aDBS)の技術は、マルチターゲット戦略と組み合わせることで、より精密で効果的な治療を実現する可能性を秘めています。
- 大規模臨床試験: マルチターゲット戦略の有効性と安全性を高レベルのエビデンスで示すためには、単一ターゲット刺激や他の治療法と比較する無作為化比較試験が不可欠です。
まとめ
精神疾患DBSにおけるマルチターゲット戦略は、単一ターゲット刺激では限界のある難治性症例に対して、複数の異常な脳回路やネットワークに包括的に介入することで、より高い治療効果を目指すアプローチです。これまでの探索的な試みからは有望な結果も示唆されていますが、作用機序のさらなる解明、確固たる臨床エビデンスの構築、技術的課題の克服、倫理的側面への十分な配慮など、多くの課題が残されています。
今後の基礎研究および臨床研究の進展により、マルチターゲット戦略が精神疾患DBSの新たな標準治療の一つとして確立され、より多くの難治性症例に希望をもたらすことが期待されます。