難治性摂食障害およびPTSDに対するDBS:探索的研究の現状と潜在的可能性
精神疾患DBSの新たな地平:難治性摂食障害とPTSDへの挑戦
脳深部刺激療法(DBS)は、難治性の運動障害疾患に対する確立された治療法である一方、精神疾患領域においても、難治性強迫性障害(OCD)や難治性うつ病(TRD)を中心に臨床応用や研究が進められています。これらの疾患に対する知見が深まるにつれて、DBSの適用範囲を他の重篤な、かつ既存治療に抵抗性を示す精神疾患へと拡大する試みが始まっています。本稿では、特に難治性摂食障害と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対するDBSの探索的研究の現状、初期的な知見、および今後の展望について探ります。これらの疾患は患者のQOLを著しく損ない、既存治療への抵抗性も少なくないため、新たな治療モダリティへの期待が高まっています。
難治性摂食障害に対するDBS研究の現状
重症かつ難治性の神経性無食欲症(Anorexia Nervosa; AN)は、極度の体重減少、ボディイメージの歪み、活動亢進などを特徴とし、精神疾患の中でも最も死亡率が高い疾患の一つです。既存の精神療法や薬物療法が奏功しない症例に対する新たな介入として、DBSの探索的な研究が進められています。
研究の主な焦点は、食行動や情動、報酬系に関わる脳領域です。これまでに、以下の脳ターゲットが探索的に研究されています。
- 腹側内包/腹側線条体 (Ventral Capsule/Ventral Striatum; VC/VS): 強迫性障害に対するDBSターゲットとしても知られており、食行動の制御や報酬系に関与します。初期の症例報告や小規模スタディで、体重回復、不安や抑うつ症状の改善が観察されています。
- 脳梁膝下部前帯状皮質 (Subcallosal Anterior Cingulate Cortex; sACC): 難治性うつ病のターゲットとして研究されており、情動制御や自己関連処理に関与します。ANに伴う抑うつや不安の軽減を目指して検討されています。
これらの初期研究は主に症例報告や小規模な非盲検試験であり、対象患者数も限られています。効果は症例によって異なり、体重回復の程度や精神症状への影響も一定ではありません。しかし、一部の患者では既存治療では得られなかった臨床的な改善が報告されており、今後の研究の基礎となる知見が得られつつあります。今後の課題としては、最適なターゲット部位、刺激パラメータ、患者選択基準の確立、および大規模な検証試験の実施が挙げられます。
難治性PTSDに対するDBS研究の現状
重度のPTSDは、外傷体験の再体験、回避、認知・情動の陰性変化、過覚醒などを特徴とし、難治性の場合には患者の日常生活や社会機能に深刻な影響を及ぼします。標準的な精神療法や薬物療法に抵抗性を示す症例に対し、DBSが探索的に検討されています。PTSDは恐怖や情動処理に深く関連する疾患であり、ターゲット脳領域の選択には慎重な検討が必要です。
研究の主な焦点は、恐怖学習や情動処理に関わる脳領域です。これまでに、動物モデルでの検討に加え、ヒトでの初期的な研究が行われています。
- 扁桃体 (Amygdala): 恐怖や不安の中心的な処理部位であり、PTSDの病態に深く関与すると考えられています。動物モデルでは扁桃体へのDBSが恐怖関連行動に影響を与える可能性が示唆されています。ヒトでの臨床応用は、倫理的な懸念やターゲットの小ささ・位置の深さなどから非常に慎重に進められています。
- VC/VS: 報酬系や情動制御に関与するこの領域も、PTSDに伴う回避行動や不安、抑うつ症状の軽減を目指して検討されています。一部の初期症例報告で、症状の改善が示唆されています。
PTSDに対するDBS研究は、摂食障害と同様にまだごく初期の段階にあります。倫理的な懸念、特に扁桃体への介入の潜在的なリスクに関する議論は重要です。症例報告レベルでは症状改善が示唆されていますが、エビデンスは非常に限定的です。今後の研究では、DBSがPTSDの特定の症状(例:フラッシュバック、過覚醒、回避)にどのように影響するのか、病態生理学的なメカニズムとの関連はどうか、安全かつ効果的なターゲットや刺激方法をどのように確立するかなどが重要な課題となります。
共通の課題と今後の展望
難治性摂食障害およびPTSDに対するDBSは、既存治療に抵抗性を示す患者に対する新たな治療選択肢となる潜在的可能性を秘めていますが、乗り越えるべき多くの課題が存在します。
- エビデンスの構築: 現在の研究は主に小規模な探索的スタディや症例報告に留まっており、大規模な無作為化比較試験などの厳密な検証が必要です。
- 最適なターゲットとパラメータ: 両疾患ともに、関与する脳回路が複雑であり、疾患サブタイプや個々の患者によって最適なターゲット部位や刺激パラメータが異なる可能性があります。脳機能イメージング(fMRI, PETなど)や電気生理学的記録を用いた研究による病態メカニズムの更なる理解が不可欠です。
- 患者選択: DBSの恩恵を最大限に受ける患者をどのように特定するか、適切な選択基準を確立する必要があります。
- 倫理的配慮: 重篤な精神疾患に対する外科的治療であるため、特にインフォームドコンセント、対象患者の判断能力、介入のリスクとベネフィットの評価など、倫理的な課題に対する丁寧な検討と議論が求められます。
- 技術的進歩の応用: 指向性刺激や適応的DBS(脳活動に応じて刺激を調整するシステム)といった最新技術は、両疾患におけるDBSの効果と安全性を高める可能性があり、その応用が期待されます。
これらの課題を克服するためには、神経科学、精神医学、脳神経外科、生物医学工学など、多分野にわたる緊密な連携が不可欠です。基礎研究によるメカニズムの解明、臨床研究による有効性と安全性の検証、そして技術開発によるシステムの最適化が並行して進められる必要があります。
結論
難治性摂食障害およびPTSDに対するDBSは、まだ探索的な研究段階ではありますが、既存治療に抵抗性を示す患者に対する新たな治療モダリティとなる潜在的可能性を示唆しています。これまでの初期研究は限られた患者数によるものであり、明確なエビデンスの構築には至っていません。しかし、一部の患者における臨床的改善の報告は、今後の研究の動機付けとなります。
これらの疾患に対するDBSの将来は、病態生理学的な理解の深化、技術的な進歩、そして厳密な臨床研究にかかっています。倫理的な課題にも丁寧に向き合いながら、慎重かつ着実に研究を進めることで、将来的にはこれらの難治性精神疾患に苦しむ患者さんへの新たな希望となる可能性を秘めていると言えるでしょう。今後の研究動向に引き続き注目していく必要があります。